2026.8.16 「日帝強制動員市民の会」声明(日本語訳)

8月16日付「日帝強制動員市民の会」声明(日本語訳)を転載します。

[声明]「第三者弁済」を固守したまま、
日本に「温かい思いやり」を注文?
李在明政権、光復節にたわ言を吐くのか!

高市首相が靖国神社に供物代金を奉納し、現職閣僚と執権自民党幹部らが列をなして靖国神社へ駆けつけた光復節(解放記念日)81周年に、李在明(イ・ジェミョン)大統領は歴史問題に対する直接的な言及を避けたまま、日本に「温かい思いやり」を注文した。光復節の主従が入れ替わった姿だ。


李在明大統領は15日の光復節に祝辞で「実用外交」に言及し、再び韓日協力の必要性を強調した。日本のマスコミは「李在明大統領が歴史問題について直接言及することなく、未来志向的な協力を強調した」として、一斉に歓迎している。


日帝被害者問題が、全く言及されなかったのではない。「私たちが築いていく新しい韓日関係の光は、歴史の影の中で依然と痛みを耐えておられる方々に、温かい思いやりにならなければならない」と述べたが、抽象的で感傷的な言葉で塗り重ねたその言葉が、一体何を意味するのか、我々には到底見当がつかない。


「温かい思いやり」とは、一体誰が誰に対して温かい思いやりになるべきというのか? 戦犯国である加害者日本に、「温かい思いやり」を配慮してほしいと物乞いするのか? 李在明政権は光復節にたわ言を言っているのか!


「シャトル外交」という口実で、高市首相と相互の故郷(奈良、安東)訪問をはじめ、韓日首脳が1年の間に7回も会談を持ち、それに陶酔して国籍すら混同したのか?日本に 「温かい思いやり」を注文するとは、これは一体何と荒唐無稽な言辞なのか!


戦争と通商問題など、日々激化している国際情勢に対応するため、隣国との協力がどの時より重要になっている事情を知らないわけではない。しかしそのような事情は、日本も同じだ。いくら国際秩序が厳存していても、守るべきものがあり、放棄してはならない責務がある。日本との協力のために、自国の被害者の人権と尊厳を放棄すべき理由は、なおさらない。


李在明政権は発足以来一貫して、日本との協力を強調する代りに、歴史問題を放置してきた。昨年の光復80周年の記念演説で李大統領は、日本の歴史的責任について、たったの一言も言及しなかった。特に昨年が光復80周年、韓日修交60年だった点を勘案する時、不可解なほどだ。今年の3・1節記念演説でも、日本への言及は敢て避けた。


「応援棒革命」で発足した李在明政権という点から、当惑を禁じ得ない。180度変わった態度に対する批判輿論を意識したのか、今年は日本の「温かい思いやり」に言及した。これが果たして李在明政権の「実用外交」の実体なのか、自戒感しか湧かない。


李在明大統領には、すでに国民の生命と尊厳、そして司法主権を守るべき、憲法的責務がある。これに先立ち、日本軍「慰安婦」被害者と日帝強制動員被害者たちは、日本政府と日本の被告企業を相手に損害賠償請求訴訟を起し、韓国の裁判所から賠償命令を勝ち取った。しかし日本政府と日本の被告企業は、韓国の裁判所の命令を古靴のように扱い、今も従わないでいる。


被害者たちに正義がもたらされるようにすることは、李大統領に付与された憲法的責務であり義務である。これ以上追及しようがしまいが、植民地支配を受けた被害国が、反省も謝罪もない日本に対し、正しい歴史清算を求めるのは、当然の要求ではないか?


尹錫悦(ユン・ソギョル)政権が強いた強制動員の「第三者弁済」の場合、野党代表時代に「国家的な外交的屈辱で恥辱」と声を高めたのが李在明大統領である。ところが、いつの間にか「国家が信頼」とか、「政策の一貫性」云々して、「既存の政策を覆すのは難しい」と、既存の政策を維持する意志を表明した。


前任政権が推進したら「国家的な外交的屈辱」で、李在明政権が推進すれば「実用外交」なのか?


「第三者弁済」を固守したまま、日本に「温かい配慮」を注文することこそ、物乞い外交ではないのか?


加害国日本が負うべき責任を、被害国韓国が引き受けると言いだした状況で、日本にはもう恐れるものがない。加害国政府の機嫌を窺い口もきけない状況で、日本が何を気にするというのか?大韓民国の司法主権を放棄し、大韓民国の憲法的責務を投げ捨てたまま、日本に「温かい気遣い」を望むとは、これは一体何と言うたわ言なのか!

2026年8月16日
(社)日帝強制動員市民の会