イラン侵略戦争は我々に何を問うているのか
ニュース112号(2026年6月発行)より
今、日本各地で「イラン戦争反対、改憲反対、海外派兵反対」の声が大きくなっている。
80年前の日本は、石油を求めて第二次大戦へ突入。このとき「石油は血の一滴」と言われた。そして現在、イラン戦争によるホルムズ海峡封鎖で、石油を前提とした「普通」の生活は一変した。今の生活ができなくなるとどうなるのか?と不安が広がっている。だが、日本は石油を買っている単なる顧客なのか?あるいはトラブルに巻き込まれた消費者なのか?
以下、日本とイランの深い関係を考える。
石油が血液の如く不可欠になった日本
何時・何故か?
66年前の1960年、3つの大事件があった。これらは別個のようで、根源は繋がっている。当時、戦犯追放から復帰した岸信介が首相だった。
一つ目。「安保改定反対」の声が大きくなり、国会構内にデモ隊が入り、警察と衝突し女子学生が死亡した。
二つ目。三井・三池炭鉱の縮小・大量解雇に、労組は阻止ストをした。政府は石油へのエネルギー転換を打ち出しており、企業は労組弾圧のために右翼を使った。さらに、炭鉱事故で多数の犠牲者が出た。
三つ目。当時の天皇ヒロヒトが、はるばるイランのパーレビ国王に会うため出かけた。
首相「岸信介」の帝国主義的な野望
1960年、岸政権は「安保反対。岸政権倒せ」の全国的な闘いを強権的に潰し、安保条約を「改定」した。これは、米国に「従属する」安保から「相互協力」へと変えるものだった。
当時の反対運動は、何より東条内閣の閣僚で戦犯の岸が首相となり、安保改定を強行した事への怒りからだった。「米の戦争に日本が利用される」という従属論で、「対米自立」「民族独立」「今の平和を守ろう」と主張していた。
他方、米国は「中東石油を米国が全面支配」し、日本のエネルギーを「中東石油への全面的依存」に大変革させることを狙っていた。同じ敗戦国でも、ドイツは国内の石炭産業を保護しているが、米国は、自国の世界戦略に日本を組み込み、利用するという方針だった。
一方、岸信介は米国の侵略を共に担って「日本を帝国主義的に再建・発展」させようと決意していた。敗戦から僅か15年にして、「敗戦を乗り越え、再び日本帝国主義の旗をなびかせる」と野望を持ち、米国をも利用して、日本帝国主義復活をなしとげようと意気込んでいたのである。
60年「改定安保」は「米国と侵略の役割分担」
だが、改定安保は何よりも「日本が米国と共同の中東侵略」に踏み切ったことが重大だった。しかしこの時、日本の反対運動側は「イラン民衆が死を賭している反植民地闘争」を考えもしなかった。「イランの人々と共に帝国主義の侵略を阻止しよう」とは、思いもしなかった。
60年は「平和な日本」の状態で、一挙に侵略帝国主義へと飛躍した。憲法に手を触れないで、米国と共同・役割分担すればよい。
野党と人々が「役割分担した侵略は、侵略戦争だ」と言わない限り、日米は仲良くできる。与党と野党も「共存」できる。
インチキだ。言葉と現実が違う。
前進する兵士と、後ろの兵站は一体だ。こういう言葉は、日本では禁句になった。日本の平和運動は「日本の中での『排外主義的な平和』運動」になった。憲法が変えられなければ、平和なら、ミサイルも空母もよいだろう。
さらに当時、反対闘争に参加した学生の中に死者が出て、報道は、学生の一部が国会構内まで入った事が「暴力的」と批判した。こうして60年安保闘争は終わってしまった。
自国資源を潰し、海外依存の経済に大転換
日本には山林があり、水力・石炭などの資源が豊富だ。世界的にも少ない、自給自足出来る程の自然エネルギー資源を持つ国だ。
しかし、米国の対日戦略によって自ら農業など食料、石炭・木材・水力など全ての資源を潰した。そのために炭鉱を閉鎖し、河川を破壊した。三井・三池炭鉱の労組を潰し、その結果、事故で大勢の労働者が命を失った。小規模のダムを破壊し、利権のからむ大規模ダムを建設して山林・農村を破壊した。こうして日本は海外依存の消費社会に変えられ、米国の多国籍企業の餌食にされている。
天皇をイラン侵略の尖兵へ
1960年11月、天皇ヒロヒトがパーレビイラン王(シャー)を訪問した。日本はイラン民衆の敵・アメリカの傀儡政権と握手し、同盟した。こうして日本は世界一の石油消費大国となった。
歴史に「もしも」は無い。だが1960年、国会、炭鉱労働者と家族、戦争被害者の戦犯への怒り。岸信介とヒロヒトの戦争責任糾弾。それら全てを「再侵略の安保」「侵略体制作りの炭鉱潰し」など、「再侵略安保を阻止しよう」へと包括した安保反対であったならば、闘いは国民的規模になり、岸政権打倒を実現できた。更に、イラン・中東侵略は、中国・アジア侵略の歴史を許さない永続的な闘いに発展しただろう。農業破壊などを許さない、自然を守る運動に貢献しただろう。
イラン革命の歴史を知る
現在のイラン侵略戦争は、イスラエル・米国の危機を根源にしている限り、長引く。
日本は、米国と共にイランの人々への敵対者である。これまで何をしてきたのか、その犯罪性を自覚するため、中東侵略の歴史を振り返る。
1908年、イランで石油発見、帝国主義のイラン侵略支配が始まる。イランは欧米に自国の石油が奪われることに反対し、1951年にモサデク政権が「国有化」を宣言した。しかし、米CIAによって政権は転覆され、1953年、欧米の傀儡・パーレビ王政が作られた。
1963年6月「ホルダード15日の抗議」
シャーを倒せ。米帝を追い出せ
アメリカは、シャーを弾劾したホメイニ師を逮捕させた。抗議する10万人以上の市民がシャーの宮殿前を行進していくと、恐怖した政府は市民たちを戦車で包囲し、機関銃で虐殺した。その日が「ホルダード15」だ。イランでは、地下鉄の駅や道路の交差点にもこの名が付けられている。
これを契機に学生たちは武装し、治安当局と銃撃戦を展開した。多くの若者たちが拷問され処刑され、短い人生を終えていった。この闘いは、広範な民衆の怒りとして全土に野火のように広がった。革命の炎だ。(参照『イランとアメリカ、そしてイスラエル』朝日新書、高橋和夫)。
イラン革命はイスラムの人々だけではなく、広範な民衆運動だった。「反帝国主義、反シオニズム、反植民地主義」は、左派や諸勢力などを含む共通のスローガンとなった。
「1日でも1時間でも10分でも石油を止めれば敵に打撃だ」。ホメイニ師は「石油労働者のストライキ」を呼び掛けた。そして、経済の心臓である石油産業が止まった。世界はイラン発の第2次石油危機に直面した。
1979年、イラン革命の勝利
こうして、シャーはついに国外亡命した。1979年2月1日、ホメイニ師は僧衣の下に防弾チョッキを着け、空港から直ちに殉教者墓地に赴いた。イスラム共同体の歴史から、ホメイニ師を代表とするイスラム勢力が、最も組織された勢力として政権を担った。イラン国内に、シャーの子孫など亡命者の居場所はない。
米国はイラクを使い代理戦争
米国は1980年、イラクに資金と武器を援助し、対イラン戦を行わせた。攻め込まれたイラン革命は存亡の危機に直面、革命防衛隊が組織された。少年たちは競って最前線に立ち、地雷原に踏みこんで、次々と吹き飛んだ。見かねた老人たちが、前途ある子どもを守ろうと地雷原に入って吹き飛ばされていった。
そして遂に1982年、イラク軍は一掃された。この体験が、今のイラン民衆に引き継がれている。現在のイラン指導部は、毒ガスが漂い、肉片が飛び散った戦場での生き残りだ。
米国、用済みのイラクを潰す
2003年、米国は「大量破壊兵器保有」をでっち上げ、イラクに軍事侵攻し、フセイン大統領を殺した。現在、イラク内のイスラム勢力は、イランを支持する「抵抗勢力」である。
そして、今年2月のイラン攻撃まで何が起こっていたのか?
2020年には、アメリカはイスラエルにそれまでの4.7倍の軍事援助を行い、湾岸諸国に米軍を増派した。アメリカの支援の下、イスラエルはパレスチナ・ガザ・レバノンなど、抵抗勢力へのテロ攻撃を日常化していった。
ガザの抵抗勢力が総決起 2023年10月
イスラエルは空爆で8万人以上のパレスチナ人を虐殺した。しかし、イエメンのフーシ派が立ち上がった。
2026年にはイスラエルがレバノンに侵略し、ヒズボラとの戦闘が始まった。
アメリカへの抵抗勢力 イラン・中国・ロシア
イランの後ろには、ロシア・中国・BRICSが存在している。
米の世界覇権は崩壊している。中国は購買力平価で2014年、アメリカを超えた。現在は22%も上回っている。オイルダラーの米中東支配は崩壊し、ドルより人民元が流通する時代となった。中国ではこの力を背景に2025年、「戦後80年、抗日・世界ファシズム戦争勝利記念大会」が開催された。この中国とイランは、石油の鉄道輸送を強化している。ロシアとイランの軍事協力も増強された。
2月28日 米のイラン奇襲は悪あがき
イスラエルは、ガザ・レバノン・イエメン・イラクというアメリカへの抵抗勢力を潰せない状況だ。危機を脱出出来ないところに追い詰められ、昨年の「12日間戦争」で敗北したアメリカ・イスラエルは今年2月28日、その頂点に立つイラン指導部を殺害する奇襲攻撃を行ったのである。
しかし、イランはこの攻撃を待ち構えていた。50年に亘る経済制裁の下で、戦争を想定し、地下工場を充実させた。イランは自前の人工衛星3基を持っている。
湾岸の米軍16基地が壊滅
「中東基地からの米軍撤退完了」と、米マスコミが報じた。すでに米の弾薬やミサイルは尽きており、防空システムは役立たずのガラクタ物だ。イラン戦争は、アイアンドームが無力であることを世界に知らしめた。
イランの潜水艦25隻が作戦に従事している。米が撤退しても、イランには攻撃する権利がある。日本にある米軍基地の存在も問われている。
中東侵略の出撃基地―日本の米軍基地
1991年湾岸戦争
沖縄米海兵隊がサウジアラビアに出撃。横須から航空母艦がペルシャ湾に出撃。
2001年~アフガニスタン侵略
在日米軍基地が中継補給拠点・空母艦隊が展開した。
2003年イラク戦争
横須賀から空母をペルシャ湾に展開し空爆の拠点に。佐世保の強襲揚陸艦や嘉手納基地・横田基地から兵員や物資の輸送を行う。
新たな時代が始まった
既成の強固に見えたシステムが崩壊してゆく。日本の右翼政権は、戦争危機を煽って生き残ろうとしている。
日本民衆が立ち上って、これを叩き潰すのだ。アジア侵略と植民地支配の犯罪を徹底的に調査しよう。帝国主義の資産没収だ。侵略の歴史を終わらせるには、長い闘いが必要だ。さあ、始めよう。(村山)